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@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

日常の生活や気になるニュース、趣味のゴルフ、カメラの日記、つぶやきです。サブログhttp://nakasadaxnobel.hatenablog.com/

【MLB】ピート・ローズに王手のイチロー、代打で一ゴロ 「歴代最多安打到達はお預け」を読んで 

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どうも、なかさだです。

 

今では子供はサッカー選手になりたいと憧れるものだと思うが、昭和生まれの子供はスポーツの選手であれば、まず野球選手に憧れるのが普通だった。

わたしも、もちろんそんな一人だったし、当時は王選手に熱狂したものだった。

当時、(40年近く前だけど)日本人が世界一のホームラン王になるという(王選手は中国系だったけど)そんなニュースに世間は騒然だったように思える。

日本は球場が狭い上に本場のベースボールに比べればレベルが低いなんていうことは、誰も言わなかったし、衛星放送もなかったので知りもしなかった。

おぼろげだが誰もが素直に熱狂していたような気さえする。

 

news.yahoo.co.jp

 

そんな中、今度はイチローが世界一の安打製造機になるみたいだ。

当時の日本なら、もっと世間は熱狂していただろうが案外静かなものである。

わたしはサッカーをやっていたので今でも好きだが、野球も同じように大好きである。

 

あの愛工大名電高校の投手だった鈴木一郎が、ここまでの選手になるとは誰が思っただろうか?

わたしがこの年の甲子園を覚えているのは、地元長野県の松商学園が久々に活躍したことがきっかけだった。

その後ドラフトで日本ハムに入団した上田佳範がエースだったチームは、予想外に善戦したのだった。

ちょっと記憶がうろ覚えなんだが、この前後の年というのは甲子園で大坂の上之宮では本木と種田、石川の星稜では松井秀喜、そしてイチローという今となっては懐かしいプロ野球の選手たちが輝いていた年だったように思う。

 

イチロー以外の名前を見るとみんな引退したのでオッサンばかりだなとも思えるが、信じられないことに同世代である。

松坂世代というのは一般的かも知れないが、この時代もプロは人材が豊富だったように思える。

1991年にプロ野球にドラフトされた選手には、他にも東北福祉大学からカープに入団した金本知憲(現阪神監督)や関西学院大学からオリックス・ブルーウェーブ(名前が違うねw)に1位入団した田口壮東京学館浦安からヤクルトに1位入団した石井一久など、そうそうたるメンバーである。

オリックス・ブルー・ウェーブ4位氏名の鈴木一郎は甲子園で見て名前は覚えていたが、こうしたメンバーに比べれば地味だった。

 

しかし、ウェスタンリーグに凄い奴がいるという噂は、何年かすると伝わってきたものだった。

わたしは中日ファンなので、当時はウェスタンリーグの若手の情報も調べていたものだった。

なにしろ当時は、毎年プロ野球選手名鑑を買っていたくらいだから、マニアックである。

イチローの噂はなんとなく聞こえていたが、試合に出るようになったのは監督が代わってからだった。

 

そう、あの仰木監督である。

わたしが仰木監督を知ったのは、近鉄の主砲だったラルフ・ブライアントが中日の2軍にいたのがきっかけだった。

ブライアントは、当時パ・リーグ最強の西武を一人で沈めたくらいの超ホームランバッターだったが、当時の中日では出番がなかったので、近鉄にトレードされちゃったのだが、三振も多かったけどホームランを打ちまくっていた。

ずっと近鉄は弱かったが、チームを建て直して西武を倒すところまで押し上げた仰木監督の手腕は今でも凄いと思う。

 

1994年になって仰木監督は、今はなき近鉄バッファローズから、なぜか同じパ・リーグの今はなきオリックス・ブルー・ウェーブの監督になった。

今度は何をやらかすのだろうと思って楽しみにしていたが、キャンプで売り出したのは、1989年のドラフト1位だがイマイチ芽が出なかったパンチ佐藤だった。

 

イチローは、鈴木一郎の登録名が変わってパンチとコンビで売られていたのだが、この年からスタメン起用され活躍ぶりは素晴らしく130試合でシーズン200安打以上を達成したのだった。(130試合のシーズンで210安打、打率.385 首位打者を獲得)

パンチは、シーズン中殊勲打を放って試合後のヒーローインタビューで「下痢になるまで飲みたいです」などの名言を残したが、この年限りで引退した。

 

まあ、その後の日本とメジャーでのイチローの活躍とオリックスの躍進は皆さん知っての通りだが、こんな選手になるとは、高校時代の彼を見たら想像もつかなかったというのが、正直なところだ。

打者としては高校時代からマツイのほうが有名だったんでね。

ただ、「センター前ヒットなら、いつでも打てます」とインタビューに表情も変えず平然と語る若者を見て驚いたのは確かだった。

 

当時のわたしは、こんなバッターを見たことがなかったのだ。

確か当時の左バッターの最高打率は阪神にいたランディ・バースが保持していたと思う。(日本人の通算打率では若松勉、外国人ではレロン・リーだった)

右打者では当時、中日の主砲だった落合博満の.367だったと思うが、この2人はホームランも打てるし打率も高い三冠王を複数回獲った選手である。

2人とも得点機でも勝負されないことも多かったくらいの強打者だった。

 

しかし、彼は純粋な安打製造機という感じだった。

130試合で210安打打つ選手?

しかも1番バッターだ。

1試合で一番多く打順が回ってくるのに、あれだけの打率を残せるなんて奇跡である。

彼以前で日本野球で最高の左の安打製造機は間違いなく張本勲だと思うけど、1年目で追いついていることが信じれなかった。

本格的に出場し始めた年から、もう伝説だったんだなと今になると感じるものだ。

わたしは、そのまま日本にいて史上初の4割バッターになって欲しかったんだけどね。

 

メジャーに行っても活躍できると新人の頃から思ってはいたが、あのピート・ローズの記録(日米通算ではあるが)を超すまで選手生活を続けられるなんて、誰が想像しただろうか?

ピッチャーが投げたワンバウンドのボールを打ったシーンもテレビで見て、天才的なバットコントロールを持っているし、足も速かったし守備も良かったから活躍するとは思っていた。

オリンピックでは、いつもかなわなかったキューバにかわって大会は違うが日本が世界一になれたのもイチローのおかげなのかもしれない。

しかし、驚異的な選手寿命は本人の努力の賜物なのかなと思う。

尊敬に値するよな。

 

素質から言えばタイプは全く違うが、清原なんかのほうが高校時代は実力が上だったのではないかな。

彼も王選手に、現役で自分のホームランの記録を抜く可能性がある選手は彼だけだとまで言われた男だ。リップサービスもあったかもしれないが可能性はあったと思う。

野球選手という観点からいえば対極になってしまったけど、才能があっても常に努力を欠かさなかった男と自らの才能に溺れてしまった男との差と言えるかもしれない。

清原も日本野球界では素晴らしい実績を残しているが、最後まで無冠の帝王だったのはプロ意識の差だったのかもしれない。

 

本人は50歳まで現役を続けたいと言ってるのを聞いて、笑ってしまったがイチローならありえるんじゃないかと感ずるくらいの選手になったのは、何なんだろうなあ。

プロ野球は毎年新人が入団するけど、同じだけ選手も引退する。

生き抜くのは大変だし使ってもらえるかどうかは監督次第だ。

狭い日本という枠を飛び越えて、世界中から選手が集まるさらに競争が厳しいメジャーで記録を作るというのは才能だけではないような気がするわ。

きっと、彼は世界一運が良かったんだろうとしか言いようがない。

こういう言い方は悪いが、運が悪ければ神戸で阪神震災を乗り越えるのも大変だったろうし。

 

この先どこまでいくのかは分からないけど、わたしはイチローに長い間いい夢を見せてもらった。感謝の念でいっぱいである。

仕事中でもマツイとともに彼の打席を見られるような世界が来るとは思っていなかったし、嫌なことがあっても一瞬だけ忘れさせてくれた。

伝説のバッターを現在進行形で毎日のように見られて、ほんとうに野球バカは幸せだったよ。

 

できるところまでやってほしいとも思ってはいるが、どんな天才アスリートでも別れはいつか必ず来るので、日本で次に続く選手が現れればいいなとは思っているが、彼のような選手は、もう出てこないだろう。

でも、イチローを見て野球を始めたという、子供たちの中から新たな才能が出てきたらきっと応援したくなるんだろうなあ。

野球小僧もサッカー少年に負けずに頑張ってほしいね。

 

それではまた。

 

All's Well That Ends Well by @nakasada